かたちゃんのインドネシア空間

伊豆・下田の旅(静岡県) 2011年7月10日(日)〜7月11日(月)

  夫婦二人で「開国のまち、下田」に行ってきました。
  長く続いた江戸幕府の鎖国政策が、今から約160年前の嘉永7年(1854年)3月31日に締結された日米和親条約で破られ、下田と箱館(今の函館)の2港が開港されることになりました。下田は即時開港となり箱館は翌年3月の開港ですので、下田は日本開国最初の港となるそうです。

  西明石から新幹線で熱海へ、そこでJR特急踊り子に乗り換えて伊豆急下田に行くコースです。帰りは熱海駅を下車して「貫一お宮の像」を見て、特急ニュー踊り子に乗ろうというプランです。

  当初は定期観光バスや企画バスツアーを利用して南伊豆を広範囲に回ろうと計画していましたが、残念ながら、あの東日本・東北大震災の影響でバスツアーは自粛・休止という状況でした。
  それで今回の旅は、「開国のまち下田」を歩き回ることにしました。具体的には、下田ボランティアガイド協会によるガイドツアー(一人300円)と一緒に歩いてエピソードを聞くことをメインとし、下田ロープウェイと黒船サスケハナに乗ること、下田開国博物館に入ることを目標とするように計画を変更しました。(2011年8月21日)




 下田のメインストリート名は「マイマイ通り」です
やはり「マイマイ」はカタツムリに由来するそうです。

唐人お吉記念館
坂本龍馬像の横に米総領事館に奉公したお吉の館が




吉田松陰拘禁の跡
弟子と海外密航を企て失敗。自首して拘禁された跡。

明治20年創業の土藤(つちとう)商店(酒屋)
ユニオンビール、カブトビールの看板が見えます。




下田条約締結地の了泉寺
「ペリー陸戦隊了泉寺調練の図」が小さく見えますね!

下田ロープウェイ(40人乗り)
愛称は、「寝姿山(ねすがたやま)ロープウェイ」です。




寝姿山から下田港を臨む
江戸幕府の大砲
寝姿山の山頂の見張所にありました。






  ペリー提督が最初に上陸した場所に建立した記念碑です。
  「黒船開国博物館」の資料によると、吉田松陰とその弟子の金子重輔が黒船に乗って海外アメリカまで行こうとしましたが、ペリーは、これから日本との交渉という大事な時期に日本の国法を無視することはできず、やむなく乗船を断ったとが記されています。




  ペリー提督は7隻の艦隊で下田にやってきましたが、その時の旗艦サスケハナ号(2,450ト)を模してつくられたのが、上の写真にある黒船「サスケハナ号」です。下田港を20分で一周する遊覧船です。
  



  左の絵は西郷隆盛に似ていることから「西郷ペリー」と呼ばれています。教科書でよく使われる絵ですが、どことなく優しそうな描き方ですよね。でも、右の絵は「天狗ペリー」と呼ばれ、悪意が満ちている感じがしますね。江戸幕府は防衛上、悪い人のイメージを強く出す必要があったのかもしれません。




  上の錦絵は下田の町民たちを対象としたコンサートをアメリカ海軍の軍楽隊が開いた様子を描いたものだと言われています。日本で初めての洋楽コンサートらしいですね。
  1854年6月に締結された日米下田条約には、アメリカ人は下田の町を自由に歩く権利「遊歩権」が与えられていたそうで、このことによって、アメリカ人と下田の町民との異文化交流が盛んになったのだそうです。




  予約によるボランティアガイドツアー「歩いてみませんか 開国のまち下田」のガイドマップです。
  伊豆急下田駅すぐ近くの下田市観光協会駅前案内所をスタートして、マイマイ通りを北上し、「吉田松陰拘禁の跡」、「欠乏所跡」、「ペリー上陸の碑」などを経て、日米下田条約締結の地「了泉寺」をゴールとする徒歩約2.5q、2〜3時間の歴史の散歩道です。一人300円の有料案内でした。

  歩いたコースをたどることができるように、地図に赤い線を入れました。上の基本コース以外に、唐人お吉・坂本竜馬を中心に散策するコースなど5種類のコースがあるようです。始めはあまり期待していなかったのですが、ガイドさんのお話はさすがでしたね。旅行者だけではわからないことを、丁寧に解説してくれました。ありがとうございます。

  それにしても、ガイドボランティアの方は結構ご高齢でしたが、炎天下にもかかわらず一度も水分補給をされませんでした。ちょっと心配で、途中お声をかけましたが、「ふだんから途中で水分は取らないのです。」とのこと。これからも、元気でご活躍くださいね。