「金色夜叉」
なぜ結末を覚えていなかったか。
それは、この小説は途中で何度も中断しながら、明治30年1月1日から35年5月12日までの6年間連載され、未完のまま紅葉が亡くなったからだと気づきました。
主人公の間貫一(はざま かんいち)は天涯孤独の身の上でしたが、貫一の亡き父を恩人と仰ぐ鴫沢隆三(しぎさわりゅうぞう)の家に居候していました、そしてその家の娘である鴫沢宮(しぎさわみや)とは互いに将来を誓い合った仲でいたのです。
しかし、宮は正月のかるた会で銀行家の息子である富山唯継(とみやまただつぐ)に見初められ、結婚を申し込まれます。富山家の財産に目がくらんだ両親は求婚を受け入れるよう宮を説得するとともに、許嫁として公認していた貫一には外遊させることでおさめようとするのです。宮も貫一を裏切り、その結婚に同意します。
貫一は本心を確かめようと宮を熱海の海岸で問い詰めますが、以外にも宮の心は貫一には戻りませんでした。絶望した貫一は泣いて許しを請う宮を足蹴にして名台詞を言うのです。「一月の十七日、宮さん、善く覚えておき。来年の今月今夜は、貫一はどこでこの月を見るのだか!再来年の今月今夜・・・十年後の今月今夜・・・一生を通して僕は今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が・・・月が・・・曇ったならば、宮さん、貫一はどこかでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ。」
こんな捨て台詞とともに宮の前から消えた貫一は、金銭の鬼となって高利貸しの手代となり、さらに独立して血も涙もない守銭奴の道を歩むのです。一方の宮は富山唯継と結婚したものの毎日悔悟にくれて、貫一に許しを請う手紙を書き綴ります。しかし貫一は宮からの手紙が何通来ようとも、その封さえ切ろうとはしないのですが・・・・。
上の写真は昭和29年(1954年)公開の大映映画「金色夜叉」のかるた会のシーンです。日本初のミスユニバース女優・山本富士子さんが宮を、ハンサム男優・根上淳さんが貫一を演じているとのことです。 明治時代は、正月のかるた会が公認された男女交際の場であったようですね。
熱海の海岸にある「貫一・お宮の像」です。舞台などでは、貫一は下駄ばきになっていますが、小説では革靴だったような気がします。泣いて取りすがるお宮を貫一が蹴り飛ばす有名なシーンが再現されています。しかし、熱海の駅を降りてみましたが、寂しい限りですね。全然活気がありません。商店街だけしかないような町でしたよ。
当時流行した金色夜叉の歌には、
♪熱海の海岸 散歩する 貫一お宮の 二人連れ
共に歩むも 今日限り 共に語るも 今日限り
僕が学校 終わるまで 何故に宮さん 待たなんだ
夫に不足が 出来たのか さもなきゃお金が 欲しいのか♪
自分にはお金がないせいで宮に裏切られたのだと感じた貫一は、自分を金色(お金)に執着する夜叉(悪魔・怪物)となるのですが、小説での台詞には、こうあります。「学問も何ももうやめだ。この恨みのために貫一は生きながらに悪魔になって、貴様のような畜生の肉をくらってやる覚悟だ。」と凄むのですが、今の世の中では、さすがに貫一に分はないですよね。「それだったら、もっと学問しろよ。子どもみたいに投げやりになるなよ。」と言ってあげたいぐらいです。
正論を言っているつもりの人、何も自分は間違っていないと考える人、即ち貫一みたいなものの考え方の人って結構いまの世の中にも、たくさんいますよね。
そういった人たちに共通するのは、「自分はまったく正しい。相手が間違っているのだ。」と相手に譲る気配もない所ですかね。相手を完膚なきまでに打ちのめして議論に勝つ。それが楽しいのかなぁ。ちょっと寂しい気がしますね。議論に勝ったつもりになっているけど、実は大事なものを次々に失っている感じがしますけどね。(2011年7月16日)