かたちゃんのインドネシア空間





























宮沢賢治


 宮沢賢治の名を聞くと、小さい頃に、「どっどど どどうど どどうど どどう、青いくるみも吹きとばせ」の歌で始まるモノクロ映画「風の又三郎」の神秘的で幻想的な作品に強いインパクトを受けたことを思い出します。その映画の原作者が宮沢賢治だと知ったのは、ずいぶん後のことですが・・・。

 自分にとっては、日本の作家の中で宮沢賢治が一番好きかもしれません。今回、十数年ぶりに新潮文庫の「新編 銀河鉄道の夜」を買い求め読み返してみて、改めて強くそう思いました。

 宮沢賢治は、明治29年(1896年)8月に岩手県の花巻に生まれ、昭和8年(1933年)に37歳の若さで亡くなっています。宮沢賢治には4人の弟妹がいましたが、特に二つ年下の妹トシは、賢治の作品の最大の理解者であったようです。

 今回取り上げます「銀河鉄道の夜」は、妹トシが24歳で亡くなったことにショックを受けた賢治が樺太鉄道に乗って北の果てに旅行に行ったことがベースになっていると理解しています。
 個人的には、宮沢賢治は、当時の小説家の範疇に入らない図抜けた世界的作家であると考えています。それは、ちょうど恒星が大爆発を起こして通常の新星の100万倍の大きさになる「超新星」のように。

「銀河鉄道の夜」

 物語は学校の理科の時間、先生の次の言葉から始まります。
 「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」

 このくだりは、主人公であるジョバンニが、のちにカンパネルラとともに旅行する銀河や天の川を説明する重要な部分です。宮沢賢治は、ほぼ10年かけて4回に渡りこの作品に手を入れていますが、最終段階で挿入された冒頭の描写は、すごく効果的な役割を果たしていると思います。
 
 学校でもほかの子たちから少し疎外された感じの貧しい家に生まれたジョバンニは、親友のカンパネルラと一緒に汽車で旅をするという構成です。そして、途中からこの旅が死者の乗客ばかりであること、死んでしまったカンパネルラを天に送る旅であること、様々な人と車中で出会いながら本当の幸福とは何かということをジョバンニ自身が学んで成長していく物語でもあります。

 「カンパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカンパネルラの座っていた席にもうカンパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりがひかっていました。

 ここでジョバンニは号泣するのですが、それはあたかも賢治が死んでしまった妹トシを嘆き悲しみ、天に送り届ける旅に同行しているかのようです。


 

 上の写真は岩手県にある「宮沢賢治記念館」です。
 5年ほど前に、著者のイーハートーブ(理想郷)である岩手県を旅しました。本当によかったです。



 いわて銀河鉄道です。
 こちらの銀河鉄道は、岩手県盛岡市の盛岡駅と青森県三戸町を結んでいます。


 10月29日(土)のNHKBSプレミアムで「宮沢賢治の音楽会」という番組が放映されていました。その中で、歌手の中島みゆきが自らの「夜会」というコンサートに関して語っていた言葉が印象的でした。「この一生だけではたどり着けないかもしれないけれど、命のバトンを掴んで願いをつないでゆけ。」という歌詞は、銀河鉄道の夜のオマージュであると。(2011年11月7日)