かたちゃんのインドネシア空間






























志賀直哉


 今回は、明治16年(1883)に宮城県石巻で生まれた志賀直哉の作品です。

「城の崎にて」

 文庫本では、わずか10ページにも満たない短編小説ですが、読み終わったときに「あっ!」という感じでしたね!兵庫県の美しい風景を題材にした紀行文だとばかり思っていたので、意表をつかれました。短い簡潔な文章が印象的でしたね。さすが、「小説の神様」って感じです!

 大まかに言うと、交通事故でけがをして城崎温泉で養生していた主人公が、ある日蜂の死体に出会います。次に首に魚串を刺し通されたネズミが川へ投げ込まれて、必死にもがいている様を目撃します。そして最後に小川で見つけたイモリを驚かせようとして石を投げると、その石が偶然に当たってイモリは死んでしまいます。 生と死をテーマにした小説です。

 「生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。 それ程に差はないような気がした。」 という言葉がこの作品を表している気がします。読み手によって、読んだときの年齢によって、この表現に対する感じ方がちがってくるのかなと思う作品でした。

「小僧の神様」

 ずいぶん昔、この本を読んだかも?って思っていましたが、それは「清兵衛と瓢箪」でした。「小僧の神様」は、大変よく練られたストーリーで、志賀直哉の代表作。さすが「小説の神様」といわれるだけはあるなという作品です。

 秤屋の丁稚奉公をしている仙吉は、番頭たちの話から、いつか自分も寿司屋の暖簾をくぐりたいと思っていました。ある日お使いの帰りの電車賃を浮かして、念願だった屋台の寿司屋に入ります。意を決してマグロの握りをつかむのですが、値段を聞いて元に戻します。

 その一部始終を見ていた貴族院議員が仙吉を寿司屋に連れて行って、たらふく寿司を食べさせます。でも小僧の仙吉は、自分がいる場所、番頭たちの会話の内容、自分が寿司を食べたかったことなど、どうしてあの人は知っていたんだろうと考えに考えた結果、あの人は神様かもしれないと思ってしまいます。

 善意と偽善、同情と憐れみ。読み手によって考えさせる志賀直哉の真骨頂が出ていると思います。一度は志賀直哉を読んでみようと思われる方に、この本はお勧めです。